河野景子とジャッキーウー(本名大平義之)は芸能美容エステの共同経営に映画監督?

河野景子さんが再婚するということが話題です。さらに話題なのが、そのお相手ですね。芸能美容エステの共同経営に映画監督をしているジャッキーウーこと本名が大平義之さんというのですから。ここでは、河野景子とジャッキーウーこと本名大平義之さんについて。そして、仕事は芸能美容エステの共同経営に映画監督をされているということまで、詳しく触れてみたいと思います。



河野景子とジャッキーウー(本名大平義之)さんの馴れ初めは?

河野景子(56)再婚 相手は怪しいエステ経営者 知った貴乃花は…11月下旬、男性と仲睦まじくテニスに興じる河野景子の姿があっ た。は化粧品販売でビジネスパートナーとなり、貴乃花夫人だった3 年前には、同じマンションに部屋を借りていた。 不倫疑惑を直撃すると「 結婚するつもりです。」「 あー、もう。 空振り!」 十一月二十六日の昼下がり、新宿区の テニスコート。声の主は、紺色のスウェットに黒いサンバイザー姿 の河野景子(56)だった。 やがて羽織っていた上着を脱ぎ、白い半袖姿になった彼女は、低い 弾道の鋭いショットが決まって得点が入ると、ダブルスを組む男性 にハイタッチ。 二人は指を絡ませたまま、見つめ合い、なかなか離 れない。 休憩中もベンチにぴったりとくっついて座る。香港映画の俳優のような精悍な顔つきの男性の話に、腹を抱えて大笑いする河野。 それから十日後の十二月六日夜。二人の姿は赤坂の裏路地に佇む高 級中華料理店の個室にあった。ここは貴乃花ファミリー時代から慣 れ親しんだ店。名物のフカヒレスープに舌鼓を打った二人は店を出る と、肩を寄せ合いながら歩いていく。 二人の親密ぶりは高まるばかり。河野が大胆な振る舞いに出た時も あった。男性の腰に手を回し、 抱き寄せたのだ。ただ大通りに出る と離れ、それぞれタクシーを拾い、帰路に着いた。 またある夜、渋谷区のワインバーの地下一階のカウンター席で男性 にしなだれ、膝枕をしてもらう河野。周囲を気にせず、口づけを交 わしたのだった。 後日、車で出かける河野を直撃した。記者の問いかけにウィンドー を下げ、対応する河野に交際相手のことを尋ねると、 「人生百年として自分の人生を逆算で考えた時にこんなに私を自然 にしてくれる人ってなかなか会えない。私ね、彼と話している時、 ずっと笑っているんですよ。感受性が一緒で、自分が自分らしくいら れる。心根の優しくて強い人だけど、彼の人生は摩訶不思議。海外 を行ったり来たりで一体何人いるのと思っちゃう」 貴乃花光司との離婚から二年。河野のハートを射止めた男は一体何 者なのか。

河野景子さんの経歴!

「一緒に春を待たないか」 宮崎県に生まれた河野は、上智大学外国語学部在学中、頼まれて参 加したというコンテストで、ミス・ソフィアに選ばれる。1988年、 フジテレビにアナウンサーとして入社すると、美貌と知性を兼ね備 えた彼女は、同期の八木亜希子、有賀さつきとともに、”花の三人娘” と呼ばれ、女子アナブームの牽引役となった。 パリに特派員として赴任し、情報番組のキャスターも務めた彼女が 退社したのは、1994年のこと。 翌年、河野は再び脚光を浴びる。国民的スター・貴乃花と結婚した のだ。 「貴乃花と出会ったのは92年頃。横綱昇進が決まる直前、二人は急 接近し交際に発展したそうです。挙式時の景子さんは妊娠6ヶ月。9 月に長男・優一が生まれた」( 貴乃花一家の知人) さらに二人の娘も誕生し、平成の大横綱を支えた河野。「2003年、 貴乃花が引退し、先代から二子山部屋を継承すると、”おかみさん”と して家を切り盛りすることに。貴乃花はいずれ相撲協会理事長に就 くと見られていました」。しかし。 河野が23年間の夫婦生活に幕を下ろしたのは2018年10月のことだっ た。 「離婚1ヶ月前の9月、貴乃花が相撲協会を電撃退職して部屋が消 滅。それが離婚の引き金だったと恵子さんは、後に自著で明かして います」

貴乃花親方との離婚後

離婚後は、おかみさん時代の話など講演を中心に活動。プライベー トでは、「貴乃花が建てた品川区にある5億円の豪邸から、19年6月 に引っ越した。コロナ家では娘の弁当を作るなど、充実した生活を 送っていた」(河野の友人)そんな河野と今、最も 親密なのが冒頭 の男性なのだ。 「彼はジャッキー・ウーと名乗り、痩身エステティックサロンや映 画ビジネスを展開しています。二人は『ケイちゃん』『ヨシユキ』 と呼び合い、多い時は二日に一回のペースで食事をしている。12月 にけいこの次女が大学に合格。子育てが一段落したのを機に、年明 けから同棲や入籍の準備を進めるそうです」。

ジャッキーウー(本名大平義之)さんの経歴は?

「ヨシユキ」 と呼ばれる通り、ジャッキーの本名は、大平義之さん。横浜中華街で料 理屋を営む中国系2世の父と日本人の母のもとで育ったという彼に は、いくつかの謎がつきまとう。 「まず、ジャッキーは年齢を明かしていません。職業上の理由として いますが、おそらく60歳前後です」(ジャッキーの知人) 調理師学校をすぐ辞めるほどヤンチャな少年が夢中になったのが、 ダンス。「米兵のパーティーに参加して見よう見まねで覚え、ディス コに入り浸ったそうです。横浜のディスコで店長をしていて、名前が 知られていた。同年代のダンサーで TRF の SAM (58)とダンスで 対決したと言っていましたね」(同前) あるとき、そんな彼は芸能界へと誘われた。 「君にはスターの光がある。一緒に春を待たないか」 そう声をかけたのは、「圭子の夢は夜ひらく」などで藤圭子をプロ デュースした音楽家の石坂まさをだ。「有頂天となった彼はすぐに 石坂氏の内弟子に。ところが、もらえるのは毎月3万円のお小遣い程 度。そこで、石坂氏が地方出張で留守にしている間、羽毛布団や ソーラーシステムの訪問販売をして稼いだ」(同前) だが、デビューの夢は叶わなかった。そこで訪問販売で得た資金 で、91年、会社を設立。以降、関連会社を次々と立ち上げ、化粧品 などの訪問販売を始めた。「ブームに左右されない商売をしたいと 考えた彼が目を付けたのが美容、特にダイエット。特定商取引法でルールが厳格化する前まで、テレアポで化粧品や美容液などを売っ ていた 」(同前) 美容事業が軌道に乗ると、参入したのが海外の映画業界だった。第 一歩は99年にフィリピンで撮影した『トータル合気道』。 企画制作 を担当したプロデューサーの新田博邦氏が語る。 「日本人がマニラのマフィアと合気道で戦うアクション映画。彼は プロデューサーだったが、監督がビジュアルや身体能力に惚れ込 み、撮影直前に主役を頼んだ。急遽出演することになった彼は、尊 敬するアクション俳優のジャッキー・チェンと父の中国名にちなんだ芸名をその場でつけました」。

芸能美容のエステを開業!

現在のビジネスの中核は、オーナー社長である痩身エステティック サロン「フェミニンアネックス」だ。東京・恵比寿駅前の8階建ての 築32年のビルにあるこの店は会員制で、ホームページも存在しな い。河野と出会ったのも、この店だった。 「景子さんはメイクさんの紹介で、10年ほど前から通うようになっ た。過去に石原さとみさんが通う姿が写真週刊誌で報じられたこと もある。女優が部分痩せなどできるように、短い時間でも特殊なマ シンを使って要望通りの体型にする『芸能美容』が売りです。コー ス料金の目安は2年間有効で50万円ほど」(サロンの元スタッフ) サロンに通い始めた頃、河野はおかみさんとして部屋を預かる重圧 から、顔面神経痛の一歩手前だった。「ジャッキーが景子さんの施 術に立ち会うことも。どうリンパを流せば良いかを指南していまし たね」(同前) オーナーと客だった二人の関係は、次第に変化していく。別の元ス タッフが、こう証言する。 「当時の景子さんは貴乃花夫人でした。二人の姿を見てただならぬ 関係だと思うようになりました」 それは、15年前に恵比寿のカラオケルームで開かれた従業員の懇親 会でのこと。登場したジャッキーが、一緒に連れていたのが河野 だった。照れゆえか歌いたがらない彼女の腰に、ジャッキーがそっ と手を添える。

交際を堂々と

「大丈夫だよ僕が耳元で歌詞を囁くから」 そうエスコートされた河野は、松田聖子の歌をゆったり歌ったの だった。この頃、二人はビジネスを一緒に始めた。 「景子は円形脱毛症になったことがきっかけで、貴乃花部屋に尽く すだけではなく、河野景子としても仕事をしようと思い立ったので す」(前出・河野友人) 河野は16年に個人事務所を設立し、代表取締役に就任。発声の仕方 などを教える「河野景子の言葉のアカデミー」を開校した。 「実は『絶対やるべき』と助言したのがジャッキーで、おかみさん 以外での活動を応援していた。景子はサロン 経営も考えていたが、 物件が見つからず、断念。その代わり、彼の会社と共同開発した美 容液の販売を始めたのです」(同前)16年10月14日午後。 京都発東京行きののぞみ号グリーン車に合わせ た乗客が振り返る。い「平日で車内はガラガラ。窓際の席に花田景 子さんが座っていました。ただ、隣にいたのは貴乃花ではなく、 シャネルのブルゾンにジーパン姿のすらっとした男性でした」 座席の上には2個のスーツケースが並んでいた。 「その男性は間違いなく、ジャッキー・ウーさん。その日の朝、京都国際映画祭では彼が監督を務めた『TOMODACHI』が上映され、 舞台挨拶に出席していました。 その帰りだったのでしょう」(同 前) 二人は品川駅で降りると、別々に改札へ向かって歩いて行ったとい う。ちなみに、当日、巡業部長だった貴乃花は朝8時から愛知県豊橋 市の巡業に参加していた。

これだけではない。 「ずっと妻と別居中だったジャッキーは自宅とは別に恵比寿駅から 徒歩1分のデザイナーズマンションを借りていました。彼の勧めも あって、景子は同じマンションの別の一室を借りたのです。仕事部 屋という名目でした」(河野の知人〕 この頃、河野は貴乃花とは別居状態にあった。

相撲部屋の女将から別居へ

「貴乃花は05年に先代の 貴乃花が死去すると、部屋に住み込んで弟 子と共同生活を送るようになった。一方、景子さんは品川区の自宅 を生活の拠点にしていた」(相撲協会関係者)起業後の河野は、部 屋に行かない日が増えていた。 「そんななか、17年11月に横綱・日馬富士による貴ノ岩への暴行事 件が発覚。この事件を機に貴乃花は協会と対立していった。部屋消 滅の危機の最中、景子さんは貴乃花の良き相談相手とは言えなかっ た」(同前) 今でも、河野はおかみさん時代のことについて「回路を切っちゃっ ていたから、思い出せない」と親しい人物に打ち明けている。「景 子はしがらみの多い相撲部屋に嫁ぎ、常にマスコミに晒され、部屋 も家族も守らないといけなかった。自分を殺して、長年おかみを演 じ、疲れきっていた」(前出・河野の知人) そんなとき、彼女が笑顔を見せられる数少ない相手がジャッキー だった。「景子は『彼はたわいもない話で笑わせてくれる』と喜ん でいた」(同前) 既婚者だったジャッキーは離婚し独り身に。そして、18年、河野も 貴乃花と離婚した。障害はなくなった。19年10月。知人によればジャッキーは食事中、悩みを吐露したとい う。「 日本国籍だから、華僑の父が眠る墓に入れない」すると、河野は 言った。

「私と一緒にお墓に入れないの」ジャッキーは即答した。「入ろう」この会話が結婚の決定打になった。 「すでに彼は景子の子供たちに挨拶しています」(前出・河野の知 人) 幸せの絶頂にいるジャッキーと河野。だが、河野を古くから知る人 物は、新たな声を喜びつつも、複雑な心境をこう 吐露する。 「二つ、心配があります。景子が不倫から始まった恋に溺れてし まっているのではないか。今、貴乃花との間に生まれた子供の親権 は貴乃花生活は景子という形で、貴乃花は多額の養育費を払っていると聞いています。もし不倫なら……。 そして、何よりジャッキー のこと。彼のビジネスにはトラブルが少なくない」 彼が代表を務め、美容事業と映画事業を行っているグローバルジャ パンは年商が3億から4億円。映画授業では、子役の寺田心が主演し た。

映画の世界では?

ジャッキーの監督作『ばぁばは、だいじょうぶ』はミラノ国際 映画祭で最優秀監督賞を受賞するなど実績を残してきた。ただ、映画関係者はこう明かす。 「映画業界の評判は決して芳しいものではありません」 俳優ジャッキー・ウー誕生のきっかけとなった『トータル合気道』。 当初は出演する予定だったという合気道家の塩田泰久氏が語る。 「私は合気道を広めるために本作に関わりました。フィリピンには 指導のため弟子を四人連れて行きましたが、彼らの交通費は自費負 担。現地に着くと何の説明もなく主演から降ろされ、おまけにノー ギャラでした」 ジャッキーはフィリピンで「日本のマイケル・ジャクソンがやって来 た」と自らを売り込んでいたという。 前出の映画関係者が語る。

「彼は、現地の人気コント番組にも出るスタートなり、自ら製作・ 出演する映画を何本も作った。ただ、気がかりなのは、彼が関わる 映画ではギャラの未払いが何度もあったんです」 ジャッキーは、日本でも映画製作をしている。◯◯年には、黒木瞳 主演の映画『破線のマリス』に出資し、製作総指揮を務めた。 ところが、公開後、ジャッキーの会社の販売員が総額336000円の超 音波美顔器の宣伝に「黒木瞳さんのような小顔になれます」「黒木 さん愛用」などと、黒木さんに無断で名前を使用していたことが発 覚する。 「黒木サイドは彼の会社に抗議を申し入れ、01年6月に和解の合意書 を交わした。しかし、それ以降も、彼の経営する別の会社での被害 が続いているとして、黒木の所属事務所は『私どもとは 全く関係あ りません』とホームページで注意喚起をしていました。また、当時 は中森明菜や別のタレントが美顔器を持った写真を店内に飾ってい たのです」(芸能プロ関係者) その騒動が「週刊朝日」(02年9月27日号)で報じられた。当時、 ジャッキーの会社は、黒木にこう反論している。「正式に和解をし たにもかかわらず、いまだにホームページでこちらを誹謗中傷する ようなことを掲載している。これは明らかな営業妨害で、こちらが 訴えを起こしてもおかしくない話」 ジャッキーは、06年頃から完全非公開の痩身サロンを中心としたビ ジネスへシフトする。元スタッフが内情を打ち明ける。 「施術をしているのは、恵比寿駅前でスカウトされた普通の女の 子。多くは芸能界志望の子達です」 まず「全然怪しい者じゃないんです」と声をかけられ、「映画制作 会社の美容部門で働きませんか? 社内の稽古場でダンスや歌のレッ スンも受けられます」とスカウトされるという。 「給料については、美顔器販売時代の顧客に電話をして無料体験や 成約件数を増やした分だけ増えると言っていました」(同前) ジャッキーは芸能人脈を巧みに利用した。 「一時期は店内に朝丘雪路さんや、横浜時代の後輩だという EXILE の HIRO さんの写真を飾っていました。オーナーの写真も貼って あって、スタッフが『アポ取りに行ってきます!』などと挨拶する 習慣がありました」(同前)さらには 、 「エレベーターから出てきた芸能人と、一般人の方が入り口で鉢合 わせすることもある。すると、お客さんの中には『あの人が来てい たんだ』などと友達に自慢する人が出てくる。こうして興味を持っ た友人や知人を紹介してもらった」(同前 )

「親方の顔が浮かんで…」

結婚までの道

二人の関係はいかなるものなのか。冒頭の河野の直撃に戻ろう。河 野に再婚の件を聞くと、「はい!そのつもりです」と満面の笑みを 見せた。最初は不倫関係? 「あー、そう思いますよね。仕事の話はしていたけど、そういう余 裕が全くなかった。実は19年に自宅を引っ越したんです。それで断 捨離して人生をリセットしてから、自分の気持ちに一気に気がつい て。心から笑えるようになったのも引っ越してからですよ」 離婚前に彼と同じマンションを借りていた? 「相談はしましたが、借りた理由は彼ではありません 。家や子供の 学校からも近い、アクセスの良い部屋を探していく中でこのマン ションが一番良かったんです」

貴乃花さんに報告は? 「しません。別れているのにどうしてするんですか」 一方のジャッキーにビジネス上のトラブルや不倫疑惑について事実 確認を申し込むと、グローバルジャパン本社で取材に応じた。 まず年齢を尋ねると、 「ごめんなさい。年齢不詳で通してるんです」 これまでビジネス上のトラブルが何度もあった? 「ぼくは法に触れることはしていません。黒木さんの件があって以 来、 芸能人の固有名詞を出さないルールを従業員に徹底している」 芸能人脈をエステサロンの宣伝に使っている? 「『芸能美容』はエステと違ってやりっぱなしじゃない。芸能人は ケアを受けた翌日には、カメラにどう映ったのかが一目瞭然。そう いうものまで責任を持ってメンテナンスしていく。そんな信頼関係 があるから、こちらが勝手に宣伝のためにお客様の名前を使うこと は、僕のポリシーとしてない。うちは完全非公開の会員制にするこ とでサロンに付加価値をつけてきた。だから、ここの店舗だけで生 き残ってきたんです」ギャラの未払いは? 「映画に出資するけど、制作費の管理は任せ ているので、わからな い」(制作担当者は「ジャッキー氏の作品では未払はない」と回 答)河野と同じマンションに部屋を借りていたことは認めたが、不倫疑 惑は「ありえない」と一笑に付す。「彼女は『あなたは勝負師ね。ずっと一人で勝ってきた』と言って くれました。コロナ禍で、ぼくの監督活動がストップして二人で同じ時を過ごし ていく中で、景子の言葉の感性に共鳴した。『一緒の墓に』という一言は今でも泣けちゃうくらい心にしみたんです。不倫なんて、親方 の顔が浮かんで、怖くてできるわけないじゃないですか(笑)」 その貴乃花。淡々とした様子でこう語るのだった。「 ああ、そうなんですか。もう離婚してかなり経っていますし、全く 知りませんでした。お相手のことも存じ上げません。( 河野の)会 社も、彼女個人の仕事のために設立しているので一度も 行ったこと がなかったんですよ。当時、私は部屋と弟子のことに全力を注いで い

ましたしね。「 おめでとうございます」とお伝えください」 ジャッキーは「ぼくらは熱くなると止まらなくなる」と知人に話し ているという。

以上、河野景子さんとジャッキーウー(本名大平義之)さんの再婚について。仕事は芸能美容エステの共同経営に映画監督をしていることについて、とても詳しく触れてきました。