府中三億円事件!モンタージュ写真の犯人の現在とお金の行方は?

府中三億円事件と言えば今から52年前の1968年12月10日に起きた現金強奪事件ですが時効を迎えた未解決の事件です。

警察の前代未聞の大規模捜査が行われ、犯人のモンタージュ写真の他、多くの証拠品を残しながらも解決出来ませんでした。

犯人の現在盗まれたお金の行方はどうなったのかも含め、府中三億円事件の全貌をまとめてみました。



府中三億円事件の概要

事件が起きたのは1968年12月10日の午前9時20分頃です。

場所は府中刑務所の横を走る路上で、東芝の府中工場社員のボーナス資金約3億円を積んだ現金輸送車が狙われました。

1台の白バイ警察隊に扮した犯人が現金輸送車に停止を求めました。

日本信託銀行国分寺支店の現金輸送車に乗員していた4人に対して「車に爆弾が仕掛けてあるかもしれない」と言い、車を点検するふりをします。

車の下にもぐり込み発炎筒を焚き白い煙を発生させると「ダイナマイトがある」と叫び、運転手や銀行員らを避難させました。

男はそのすきに現金輸送車に乗り逃走しました。

犯行時間はわずか3分という出来事でした。

当時の3億円を今現在の価値に換算すると20億円にあたるといわれています。

府中三億円事件の最初の犯人容疑者

警察の捜査により事件の2日目にして少年Sという青年が第一容疑者として有力視されました。

少年Sは当時19歳でした。

しかも少年Sの父親は、当時警察官で交通機動隊の中隊長をしていたのです。

しかし容疑者とされた警察官の息子である少年Sは、事件発生から5日目の夜に青酸化合物で自らの命を絶つに至りました。

警察幹部の息子が有力な第一容疑者であるという事実が公になることは、警察にとっては何とも避けたいものだったのでしょう。

この事実を警察は何とか伏せておきたいと考えた結果、犯人の公開捜査としてモンタージュ写真を作成する過程でその方法は適正な手順ではなく、歪んだものへとなった可能性があるのです。

府中三億円事件・偽りのモンタージュ写真の公開

事件から11日目にして警察は運転手や銀行員らの目撃証言を元にモンタージュ写真を作成し公開しました。


しかし、実際は少年Sとは別人の写真をモンタージュと称して公開したのではないかと言われています。

また犯人のモンタージュ写真を作成する際の銀行員たちの印象もあやふやなままだったそうです。

更に、若い男にヘルメットをかぶせれば似る人が多くなるということもあり情報提供は多くなりました。

結果として捜査員は公開したモンタージュ写真によって、大量の情報に振り回されることになったと言われています。

府中三億円事件の捜査経緯

前代未聞の府中三億円事件ですが、モンタージュ写真の他に偽の白バイクをはじめ沢山の証拠品が残っていました。

とは言え、多くの証拠は大量生産品や盗難品のため犯人を特定することが出来ませんでした。

中にはほんのわずかの細かい証拠品もありました。

犯人は本物の白バイについているスピーカーに見せかけるため、メガホンを白ペンキで塗装し装着していました。

その塗装部分にはペンキが周囲に広がらぬよう被せていた数ミリの新聞片がついていました。

犯人が自宅に配達されている新聞を使ったと考えられ新聞の詳細を調査しました。

犯人の所在場所を特定出来る有力な手掛かりとなる可能性がありました。

その結果、犯行の4日前の産経新聞の一部であることが分かりました。

しかし配達地域が判明するのに2年近い歳月がかかりました。

その間に新聞購読者や配達経路に関する書類は既に破棄されており、犯人特定にまでは至りませんでした。

捜査に動員された警察官は約17万人。

容疑者リストに載った人数は11万人。

捜査にかかった費用は9億円と言われています。

府中三億円事件のお金の行方は?

犯人は犯行現場から1km先に逃走用の車を隠していました。

現金輸送車から自分の車に、ジュラルミンケースに入った現金を詰め替えて逃走しました。

4か月後に乗り捨てられた車とジュラルミンケースが発見されましたが、盗まれた現金はありませんでした。

空のジュラルミンケースには土が残っていて、犯人の居場所の手掛かりになるであろうと検証されました。

多摩地区2000ヶ所以上からサンプルの土を取ったら恋ヶ窪、府中、国分寺近辺との捜査情報は得られたそうです。

しかし、犯人の所在地に迫るところまで捜査は及びませんでした。

盗まれたお金は発券されたばかりの新札であり、発券番号が控えられているので使用された場合は直ぐに発覚します。

事件後から現在まで使用された形跡はないということで、お金の行方は判っていません。

府中三億円事件の犯人の現在 時効が成立

白バイ隊員と偽り犯罪史上最も大胆に単独で巨額の強盗を行った事件は、警察のメンツを潰す社会的な大事件でした。

そんな警察は必死の捜査を行いましたが、結局犯人を検挙するに至りませんでした。

事件から7年後の1975年(昭和50年)12月10日に、公訴時効が成立しました。

そして事件から20年後の1988年(昭和63年)12月10日に、民事時効が成立しました。

事件後52年が経つ2020年現在、犯人が存命であれば当時20代なら現在は70代。

当時30代なら現在80代という、かなりの高齢者となっています。

上述したように強奪されたお金は発券番号が控えられており、使用されていない可能性が高いです。

現在の科学捜査技術や防犯カメラ等の設備が当時にもあれば、簡単に犯人は捕まっていたかもしれません。

IT技術が未だ発明されず普及していない時代ならではの犯罪であったと思います。

事件も世間から忘れかけられていた頃、自分が犯人だと名乗る騒ぎが起こります。

どんな騒動だったか次章で述べて行きたいと思います。

府中三億円事件の犯人と名乗る男の出現

犯人と名乗る男が手記を発表

未解決として時効が成立した三億円事件ですが、事件からちょうど50年後が経過した時に、事件の犯人だと名乗る人物が出現しました。

その人物は名を白田と言い、

「府中三億円事件の幕開け―少年Sとの出会い」と題した手記を、小説投稿サイト「小説家になろう」に投稿したのです。

冒頭で述べた警察幹部の息子であり、犯人の有力容疑者として名が上がった少年Sの犯行説として書かれていました。

この少年Sは現在でも名前が公表されていません。

ですが、この白田という人物は小説の中で少年Sを「省吾(しょうご)」と書いていました。

名前が本当であれば少年Sと合致しますが信憑性に乏しい内容です。

少年Sは青酸化合物で自らの命を絶ったという話が本当か?

真相は違うのではないのかとも言われています。

息子が犯人と知った父親が少年Sの飲み物に青酸化合物を盛って、事件を闇に葬ったという声さえあります。

犯人と名乗る男が手記を書籍化

2018年にポプラ社から出版された

『府中三億円事件を計画・実行したのは私です。』

という書籍が話題になったことをご存知の方も多いかと思います。

この書籍は、前述に述べた手記を書籍化したものです。

犯人だと自称する白田という人物が、三億円事件に関する計画や内部事情の他に、現場で起きたことを詳細に書いた内容となっているそうです。

内容は、きちんとした物証がなく辻褄が合わない点もあり犯人の告白だとは思えない、話題作りのためではないかという否定的な見方が多いと言われています。

府中三億円事件!モンタージュ写真の犯人の現在とお金の行方に関する感想

盗まれた3億円には保険が掛けられており損を被ったのは保険会社であり、また多額の捜査費用で公費を使われた国民ですね。

現在のインターネットやIOT技術が発達している社会では、知らぬ間にネット上のハッキング等により口座のお金が盗まれているということが起こりえます。

府中三億円事件のようにモンタージュ写真みたく犯人の顔を知ることもなく、お金の行方も全く分からない現代こそ、誰もが被害者となり得る怖い時代です。

今回の記事を書くにあたって、個々のセキュリティに関する意識をもっと高める必要があると感じました。

以上、府中三億円事件のモンタージュ写真やお金の行方について調べてまとめてみました。

最後までお読み下さり有難うございました。